黒澤明監督関係資料展
世界のクロサワの一面を語る(4月7日・金)
大仙市大曲図書館の「市民サロン・展示室」で「黒澤明監督関係資料展」が開かれている。映画監督の黒澤氏は「羅生門」や「七人の侍」など数々の名作を残して1998年9月6日、脳卒中で亡くなっている。88歳だった。
今回の資料展は「黒沢明文庫」を設けている中仙市民会館「ドンパル」から借りての開催。中仙地域は黒澤監督の父の故郷。東京在住で熱烈な黒澤ファンだった人が、黒澤氏に関する資料を収集、最終的に監督に縁(ゆかり)の地である旧中仙町へ寄贈したいと送ってきたものを当時の町が受け入れ、保存・展示コーナーを設けていた。文庫には映画「八月の狂詩曲」や「夢」「乱」などのプログラムや黒澤監督をモデルにした写真集、さらにキネマ旬報や映画の台本など監督にまつわる貴重な資料が約2000点もある。
今回はその一部を借りての展示だが、「椿三十郎」の迫力いっぱいの映画のポスターや世界のクロサワの死を一面のトップで伝える日刊スポーツ新聞、黒澤映画の中から好きなものを一つ選ぶとすれば「わが青春に悔いなし」だとし、「眼もくらむような思いでみつめた」とキネマ旬報で語る高野悦子さんの記事や拳銃を奪われた刑事の苦悩を描いた「野良犬」こそ「黒澤映画の原型だ」とした登川直樹さんの評論などもある。
また「八月の狂詩曲」でカメラマンを努めた本田猪四郎さんと映画監督の山田洋次さんの「黒澤映画の魅力を語る」と題した対談も興味深い。アリの行列を撮るため、アリの研究家の協力を求め、5日がかりで撮影したエピソードなどは黒澤映画のすごさを象徴していると言えそうだ。
数え80歳の年に28本目の作品「夢」の撮影のためメガホンを取った黒澤監督のダンディな姿を写した「アサヒグラフ」や「赤ひげ」の撮影シーンを収めた写真集もある。
また黒澤監督の年譜も掲示されている。それによると黒澤監督は陸軍軍人の父勇と大阪の商家生まれの母シマの間の8人兄弟の末っ子として東京で生まれる。一時は画家を目指すが、映画の弁士だった兄の影響を受け、1936年(昭和11年)、26歳の時に映画製作所に入社。助監督を努め、1943年(同18年)に映画「三四郎」で監督としてデビューした。その初の映画が映画評論ベスト・テンの第2位に入り、新人監督を対象とした山中貞雄賞に輝いている。貴重な資料だけに展示品は全てガラスケースに入れられたままだが、黒澤映画を語る上でも一見の価値はある。資料展は今月いっぱい。