大仙市協和のマインロード荒川

閉鎖に伴う伝承検討会設置

観光坑道内に残された資料を保存、伝承へ(12月27日・水)
 
 マインロード荒川の入口と出口。   再現した坑道の内部。

  大仙市協和にあった荒川鉱山跡を観光坑道として再現した「マインロード荒川」の閉鎖に伴って、初の「荒川鉱山伝承検討会」が26日、協和総合支所で開かれた。検討会は協和地域協議会長の鈴木貞一さん、金正行市農林商工部長、今浩造協和総合支所長、小松一幸教育委員会文化財保護課長、平寛二商工観光課長ら10人で構成され、荒川鉱山の伝承を行う場所やマインロード荒川の観光坑道内にある膨大な資料の分類と展示などを検討していくことを確認した。

  荒川鉱山は1700年(元禄13年)に発見され、最初は個人が山を掘っていたが、1738年(天文3年)からは佐竹藩の直山として藩を支える重要な財源となった。明治以降は三菱合資会社の所有となり、さく岩機の導入、発電所の建設など大規模な開発が行われ、明治末期には水平坑道下180メートル、坑道の総延長3万5000メートルに達したと記録されている。しかし、昭和に入ってからは衰退のきざしが見えはじめ1940年(昭和15年)に約240年の歴史を刻んで閉山した。最盛期の1912年(大正元年)には従業員が2012人にものぼり、鉱山内に病院、学校、劇場、銭湯などもあったという。

  マインロード荒川は1993年6月に観光施設としてオープン。坑道内の一部(1周813メートル)を観光用として整備し、採掘の様子などを再現した。地底を歩けるとあってピーク時には年間6万人(営業は4月から11月まで)も記録したが、昨年は約4900人だった。

  閉鎖の切っ掛けとなったのは今年6月6日の立て坑の崩落だった。市では三菱マテリアル東京本社と秋田精錬所に崩落後の調査を依頼。その結果、目視ではあるが立て坑の崩落の危険性は今後もあること、さらに坑道部分の木製の支柱も崩れ、絶対的な安全性は保証されないなどから入場者の生命、安全性から坑道の再開は困難と判断し、議会及び地元にも説明して閉鎖を決めた。

  しかし、坑道内には採掘用の機械や工具、鉱石標本、鉱山に関する絵画や掛け軸、古文書など貴重な資料も膨大に残されている。市では観光坑道は閉鎖しても鉱山は旧協和町の一時代を築いたものであり、歴史的、学術的な面からもそれらの資料類は整理し、伝承すべきだと判断、この日の検討会の開催となった。

  検討会では協和地域協議会長で荒川地区振興協議会長の鈴木さんを会長に選出し、坑道内に残された資料類はマインロード荒川の管理棟をさらに充実させ、そこに保存する方法と鉱山から約2キロ離れた国道46号沿いにある協和自然資源等活用型交流促進施設「大盛館」への保存の2つの案が示された。

  大盛館は鉄筋コンクリート造り平屋建てで約885平方メートルの大きさ。1998年にオープンさせたもので04年12月26日、99歳で亡くなった荒川鉱山出身の作家・松田解子さんの資料室と民俗資料室からなっている。松田さんはプロレタリア作家として活躍し、荒川鉱山を舞台とした「おりん口伝」や「地底の人々」など数多くの作品を残している。検討会の委員は08年月31日までの任期とし、マインロード荒川の資料の分類と展示の方法の検討や民俗資料の整理、さらに協和地域の公共施設、それに小学校統合に伴う廃校後利活用なども検討する。