世界第2位の高峰

K2の空を目指して

女性登山家・小松さんが大仙市で感動の講演(1月16日・火)

  大仙市太田町の太田文化プラザで15日、パキスタンと中国国境にまたがる世界第2位の高峰「K2(8611メートル)」へ日本人女性として初めて登頂に成功した秋田市出身の登山家・小松由佳さん(24)の講演会があった。小松さんの父親が同町生れという縁で、市と市教育委員会が「太田地域ふるさと講演会」として主催した。講演会には地元の小中学生から高校生、そして一般も含め600人近い聴衆が詰めかけ、満席だった。小松さんはそれらの聴衆を前に「K2の空を目指して」と題して、登頂までの写真をスライド上映しながら、「山は生きるも死ぬも紙一枚の差で、運不運しかない。それでも山は私にとって生きていることを実感させる場であり、生きるために登った」と8000メートル級の山に登る危険と魅力をタップリと語り、聴衆に多くの感動を与えた。

  小松さんは県立秋田北高校入学と同時に山岳部に入り、国体やインターハイに出場。さらに東海大学では山岳部初の女性主将として活躍した。卒業後も山に登り続けたいと就職せず、東京新宿の山岳用品専門店のアルバイトを続け、東海大学山岳部創部50周年K2記念登山隊への参加を誘われた。小松さんは「人から与えられたこのチャンスを逃してはならない」と決意、6人のメンバーの1人として参加した。

  K2は登頂の難しさではエベレストよりも上と言われ、遭難者の数も多く「非情の山」と呼ばれている。

  小松さんらをメンバーとする東海大山岳部隊は昨年6月20日に5150メートル地点にベースキャンプを設置、同28日に第1キャンプ(6400メートル)、そして7月9日に「肩」と呼ばれる7900メートル地点にアタックキャンプを設けた。アタック隊は小松さんと3年先輩の蔵元学士隊員、3つ後輩の青木達哉隊員の3人だった。だが、悪天候もあって登頂は伸び伸びとなった。その天候回復を待ってアタックを目指したが、途中で蔵元隊員は腹痛を起こして断念。小松さんと青木隊員の2人での登頂となったが、「二人とも8000メートル級の登山は初めて。午前3時の出発。未知の世界だが、後悔しないようやれるだけやろう」と登り続け、テントを出てから14時間後の8月1日午後4時50分、登頂に成功した。小松さんのこの快挙に対して秋田県は昨年10月、県民栄誉章を贈っている。

  小松さんの講演会には栗林次美市長も顔を出し、歓迎の言葉を述べた。山を語る小松さんの話はスリリングで、生きることの大切さを教える示唆に富んだ内容だった。小さいころから山を眺めて育ち、高校に入って登山部に入った。しかし、高校の登山は山という雄大なフィールドの中で時間を競って走るもので、自分には合わないと思ったと小松さん。そして「自分はもっとルールのない、自分を表現できる登山をしたい」と大学に入って再び山岳部に入り、そこから本格的な登山を始めたと語った。

  だが、山岳部に入って苦労したのは、自分が女性であることだった。「女性だから出来ないとか、ダメとか外見的な差別にとても苦労した」と述べながら、「山は男も女も分けない。人間の間で男とか女とか分けるのであって、意識しないで山に登るべきだ」と訴えた。大学では年間150日は山登りだったが、「女性としていかにリーダーとして上に立つかで苦労し、時には後輩と殴り合い寸前になることもあった。しかし、そうした心のぶつかり合いを得ていいチームとなった。登山は信頼関係が大切で、心がいかに通い合うかをいろんな活動を通じて築いた」とも語った。

  そしてK2目指す前にカナダでのロッククライミングやアイスクライミングなど両手両足を使って、高さ300メートルもある氷の壁をよじ登る訓練の様子などを写真で紹介した。山登りはいつも死と背中合わせであり、小松さんはK2へ登る前は「好きなことをやれて幸せだった」と遺書も書いたという。

  小松さんたちはパキスタンからK2を目指した。パキスタンの人たちの生活の様子なども写真で紹介した。そして「K2」の威容な姿が登場。K2は谷の奥にあって、人々の目にはほとんど触れることのない山という。しかも、切り立った三角形の山は「岩と雪と氷の塊で、生命の存在は許さない山だ」と小松さん。その山に登る人の26%は亡くなっているという。山に入るまで1週間ほど歩いた。山に登るための荷物は800キロあり、現地の人をポーターとして雇って運んでもらったとも語った。そしてK2を目の前にした時はそのスケールの大きさに身震いしたと述べた。

  登山するにはパキスタン政府の許可が必要で、登山料は120万円もし、さらにコックを雇うのも条件だったが、コックが作る料理は「毎日、カレーばかりだった。日本に帰っても3年ぐらいはカレーを食べたくないなと思った」と会場を笑わせた。同時に可愛がっていたヤギが食料として殺された時のショックなども語り、「パキスタンでは自分が食べるために動物を殺すのは日常のことで、その死を見送り、それに感謝しながら食べる。命の重みを知っている」と語った。そして「命が亡くなる瞬間は残酷だが、私たちはそれを余りに知らな過ぎる。パキスタンの人たちは生きるのが難しい環境にあるだけに、日本の人たちが自殺するのは理解できないと不思議がった」と命のかけがえのなさも強調した。

  山に登るシーンも映像を見せながら語った。雪崩によって起きる爆風。そして落石の恐怖も語った。氷河の美しい光景も見せた。小松さんは「危険な場所に居るのだが、憧れの山に登るのが楽しくて、山に恋しながら登った」とも語った。さらに「山を登っている時は登っている行為だけに集中し、普段は考えないことも考え、自分が生きていることを実感する。死ぬという危険はあっても、私は生きるために山に登る」と山の魅力を話した。

  そして7900メートルの地点に設けた最後のキャンプを出て頂上アタックまでの様子を「午前3時、先輩が欠け、後輩と2人だけの登頂となったが、後悔しないようにやれるだけやろう」と覚悟を決めたという。8000メートル級の世界は〃死の空間〃とも言われ、酸素不足から頭痛や吐き気、さらに思考力も鈍る危険な場所だ。しかし、8100メートルの世界で見た朝焼けの美しさ、そして山々の眺めの素晴らしさは「太陽も大きく、星も月も大きく、神々の領域に入ったようで、人間が見てはいけないようなものを見ているような気持ちだった」と小松さん。

  テントを出発してから14時間かかってやっと8611メートルの頂上に立った。「2人とも言葉もなく、ゴーグルの中で涙がいっぱい流れ、感動の絶頂だった。曇っていた空も次第に晴れ、山が私たちを受け入れてくれたと思った」と語った。そして、「頂上に立って初めて地球は丸いということが分かった」と頂上での写真も披露した。しかし、下りにも大きな危険が伴うだけに「生きて帰れるかな」という不安も沸いた。それをかき消そうと何度も「絶対に生きて帰ろう」と心に語りかけたという。

    下り時には日も暮れ、ライトで足下を照らしての下山だった。途中で酸素ボンベの酸素も切れた。そして襲ってくる疲労感による眠気。小松さんは「このまま下るか、ビバークして休んで眠るか」と判断を迫られた。「危険だが、2人で寄り添って雪の斜面に座り、体を山に結びつけて午前2時半には眠った」と語った。そしてベースキャンプに戻った時は「山は自分たちを生きて帰してくれたと山に感謝した」と登山の成功を語った。小松さんたちと前後して登頂を目指したロシアの登山隊は途中で雪崩に遭って4人が亡くなったという。

  最後に小松さんは子どもたちに向かって「私たち6人は素晴らしいチームだった。K2に登れたのはチーム、友人、両親の力で押し上げられたからだ。K2に登って私は、一人で生きているのではなく、いろんな人に生かされていることを知った。私もきっと誰かを生かしている感じがする。だから皆さんも自分だけで生きているのではなく、いろんな人に支えられ、生かされているんだということを知ってほしい」と子どもたちに可能性を信じ、楽しく人生を生きるよう呼びかけた。

  講演が終わると子どもたちから様々な質問が出たが、「太田町の山に登ったことはありますか」に「ありませんが、今年あたりは父と登ってみたいと思います」と答え、大きな拍手を受けていた。