大曲商工会議所・初代会頭の石川さん

郊外型大型店の進出に揺れる中心商店街

激動の中での舵取りに腐心(97・12・4)

 大曲市商工会から「大曲商工会議所」へと組織移行したのが今年4月。その初代会頭にどうしてもと懇願されて就任した石川勝三さん(66)は今、郊外型の大型店攻勢と言う大変な時代の流れの中で、会議所全体と会員事業所を守るための舵取りに腐心の毎日だ。自民党政務調査会の「中心市街地再活性化調査会」のメンバーが視察に来曲した時は「どの街でも商店街は市民のコミュニケーションの場であり、その街の顔であり、シンボルであります。それが破壊されようとしてます」と堂々と要望書を読み上げ、大型店攻勢の弊害を訴えた。

 それは単なる商店の前面に立っての自己防衛の主張だけでなく、車に乗れないお年寄りや障害者の視点に立った訴えでもあった。「街中心部の商店が潰れるような時代になったら、ちょっとした買い物でもタクシーで郊外に、いや隣町まで行かなければなりません」と。ジャスコが中仙町に超大型のショッピングセンターを建設するということを意識しての訴えだった。

 商工会議所会頭。石川さんはその就任要請を受けた時、何度も断った。「自分は果して、本当の商人かという疑問があったから」と話す。江戸時代から続く名門・石川家10代目を引き継ぎ、先代が残した土地管理が主な生業で、教師の経験はあっても、いわゆる物を売る仕事や製造販売といった事業家としての経験はない。それが商工会議所の筆頭に就くことへの抵抗となったかもしれない。しかし、適任者が居ないと懇請され、最後は高橋司大曲市長の直談判まで受け、「仕方がないか」と下りた。

 商工会議所のスタートは順風満帆だったが、中心商店街は郊外型の大型店進出にまさに生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされようとしている。「まあ、考えてみればホジなしにならなければ会頭はやってられないでしょう」と謙遜した。ホジなし。いわゆるこの方言は「バカになる」とも言えるし、「無鉄砲」とも言う。かと言って、その両者が当たっているわけでもない。1500を超す会員のトップに立ってリードするには自分を殺し、そしていかに会員の利益を守るかという微妙な手綱裁きが必要だ。そのためにはバカにもなり、無鉄砲にもなり、超然と事にも向かう。ホジなしにならなければならない、という秋田の人にしか通じない方言でもって会議所を運営する覚悟を決めたと言うべきか。

 静かだが、しかし良く通る声で話す。今はジャスコの中仙町への進出を前に揺れる中心商店街をどう活性化するかで頭が一杯のようだ。簡単には回答は見いだせない。とにかくみんなで話し合って、良い方向を見つけ、アクションを起こしていこうと訴えている。

 会頭に就任して最初に改革に踏み切ったのは、会議の席での発言、だれもが手を挙げて意見を述べる場にすることだった。「会議の席では黙っていて、廊下に出てからあれこれ愚痴を言うようではお互いに気詰まりでしょう」とガス抜きを図った。「大きな会社社長も個人店主も対等に話し合える場が商工会議所なんだ。そのような場にしたかった」と話す。

 さらに一常議員の発言により、会議の場で資料を渡すのを止め、事前に会員に渡しておいて考えてもらう時間を与えた。これによって会議の場での発言もしやすくなった。とにかく開かれた会議所への改革を図った。 常に柔和な笑顔を絶やさないが、「人に言われて動く前に、自ら動く」という哲学を持った頑固さもある。

 大曲市消防団長を引き受けた時は、出稼ぎで冬場は活動出来ない団員の多さに無駄を感じ、人員削減を図って、その分の経費を消防ポンプの更新など装備の充実に努めるべきだと、消防団の幹部会の提案として市に働きかけて実行した。「黙っていると消防団は何だと、議会から文句が出たでしょう。その前に自分たちのことは自分たちで」と1年半の論議がなされた結果だったという。石川さんは、削減という痛みを自らも背負って1期4年で団長を辞任するといった引き際の美しさもみせた。男の美学を持った人でもある。

 自分の感覚も大事にしている。会頭に就任して会議所事務所に顔を出したとき、入口を塞ぐようになっていたカウンターを移動させた。会員が入りやすい事務所であることが第一だと考える。経営指導員には事務所で客待ちをしているだけでなく、自ら会員事業所を回って相談に応じるよう動の姿勢を強調した。昨年の花火大会での観客が50万人を超えたのを契機に「もう商工会という組織だけで運営するには限界だ。市にも運営の協力を貰うべきでないか」と提案。その結果、今年の花火大会からは市が駐車場の確保や交通渋滞緩和に向けて全面的に協力。昨年を上回る57万人の人出となったにも関わらず、車の流れはスムーズになるなど成功に導いた。

 大型店攻勢には頭を痛めるが「大曲は古くは宿場町として栄え、雄物川交易の川港として栄え、鉄道が通ってからは交通の要所として商業が栄えてきた。時代の流れや変化に乗ってたくましく生き残ってきた先人の血が私たちには流れている。そう思って、自信を持ってこの激動の時代を乗り切ろうと話してます」と共に悩み共に行動しようとしている。

 特別養護老人ホーム「欣寿園」運営の母体となっている「県南ふくし会」の理事長も長く務めている。長男は東京で証券会社に勤務、次男は同じ東京で歯科医として活躍している。長女は盛岡市に嫁いで生活。自宅では妻の和美さん(60)と二人暮らし。クラシック音楽が好きで、音楽を聴きながら、あれこれ思索するのが好きだ。